ざるご博士になりたいブログ

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「社会勉強のためのアルバイト」ほど無駄なものはない

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「バイトは無駄か」論争の際に,バイト擁護派から最もよく発せられる言葉が以下である.

バイトは社会勉強になる(からやったほうがよい)

だが断言しよう,「社会勉強のためのバイト」はバイトの中でもとびきりクソである.クソというかもはやウンチであると言えよう.

「社会勉強」という言葉はふわっとしすぎている

なるほど確かに役に立つアルバイトはある.
通訳になりたい人が通訳バイトで実務経験を積むというのは非常に理にかなっている.
エンジニアを目指す人がスタートアップでプログラムを使った業務をやってみるというのも確かに面白いだろう.
研究者を志す人がリサーチ・アシスタントとして研究室に雇われてみるというのは必ずいい経験になると思う.

しかし,これらのバイトにおいて,目的はすべて具体的だ.
このような,「本当に将来につながるバイト」をする人が,社会勉強などという言葉を使うだろうか?いや,絶対に使わない.(反語)

本当に「社会勉強」をしたいなら,「こういうスキルを学びたい」「こういう知識を付けたい」と,もっと具体的な言葉で自分の目的を説明できるはずだ.
なのに,「社会勉強」なんてふわっとした言葉を使っている人は,その時点で「逃げ」の姿勢が丸見えなのである.
具体的な目標があれば,「それを達成できたか否か」が客観的にわかる.
しかし,抽象的な言葉しか使わなければ,達成度をきちんと判定することはできない.
ふわっとした言葉を使って,結局できたのかどうかもなあなあにしてるクソみたいな奴らが,「バイトは社会勉強」とか言ってるのだ.こんな奴らの真似をする必要は一切ない.

だいいち,「バイトは社会経験だ」とか言ってしまう人は,バイトをしなかった時間という意識が欠落している.
バイトをせずに勉強した時間,バイトをせずに友だちと遊んだ時間,バイトをせずに家でダラダラ寝た時間,すべてが社会経験だ.
そりゃバイトから得るいい経験もたまにはあるかもしれない.
しかし,いろんな選択肢がある中から,最も自分にとって有意義な時間を選択していくことが重要なのに,「バイトから得るものが1mmでもあるか」だけを語るというのは,もう圧倒的に間違えている.
家でダラダラ寝る経験から得るものだって,たまにはあるに決まっている.

バイトから得られるものなんて,他の経験に比べればクソほどどうでもいい.学生ならバイトよりも勉強しろ.就業体験がしたいならインターンにいけ.暇なら友達と遊べ.バイトなんて,まじでやる意味ない.まじでクソミソみたいなものだ.

とりあえず,こんなところで今日の記事は終わります.ありがとうございました.ところで近況報告なのですが,最近アルバイト始めました.

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